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(2006年7月14日配信)

江北村の歴史を後世へ
 郷土の自慢である「江北の五色桜」を中心に旧・江北村の歴史をひもとき、次世代の子どもたちにも伝え、郷土愛を育もうという趣旨に賛同する地域住民らが「江北村の歴史を伝える会」を設立。その発会式および記念講演会が9日、五色桜ゆかりの江北小学校で行われた。
 同会の立ち上げに尽力した世話人のなかから、会長に元足立区教育委員長の浅香孝子さん(江北六)が選出された。会長に選出された浅香孝子さんのあいさつ浅香さんが「この地に生まれ育ったことを誇りに思い、五色桜を介して発展していった村の歴史をうれしそうに語る先人たちの思いを受け継ぎ、貴重な歴史と文化を体系的にまとめ、現在この地域に住まわれている方や後世へと伝えていきたい」とあいさつ=写真左=すると、約40人の参加者から同意する大きな拍手が送られた。
 その後、発会を記念して桜の研究家である地元の樋口惠一さんが「江北の五色桜」と題して講演した。江北の五色桜がワシントンのポトマック河畔を彩り、また日本へと里帰りするようになった経緯について、当時の貴重な写真をスライドで振り返りながら説明した。
 20世紀の初頭、当時の東京市は、日米友好のシンボルとして桜をアメリカへ寄贈することを計画していた。長い船旅の間、害虫などに侵されないような苗木を育成するために尽力したのが、旧江北村の偉大な先人・船津静作翁だった。
 船津翁は、明治時代初めに多くの品種を収集、研究をしていたことから、桜にかけては日本の覇王とまで称された人。荒川堤に桜を植樹する計画と指揮をとった江北村の清水謙吾村長とともに、五色桜の維持管理も行っていた。
桜の研究家である地元の樋口惠一さんによる記念講演 樋口さんは、太平洋を渡ることのできる健全な苗木を育てるため、船津翁が江北村の五色桜から枝をとって栽子(つぎほ)とするまでの育成の苦労を説明した=写真右。樋口さんは、静作翁の孫で桜の研究家である船津金松さんの直弟子。金松さんは、幼いころから祖父の薫陶を受け、特に栽培品種に造詣が深く、現在サトザクラの品種の研究で右に出る人はいない。
 またこの日は、同校講師の栗原光子さんが児童への教材として作成したペープサート「五色桜のはじめ」も上演された。荒川の洪水を防ぐため、熊谷堤に里桜が植栽されてから「荒川の五色桜」が誕生するまでをわかりやすい物語に仕立てられている。
 今後、「江北村の歴史を伝える会」では、足立区の誇りでもある五色桜をまずとりあげ、それに造詣深い船津金松さんの貴重な研究や、その他の古老の人々からの話を聞きながら、江北村の歴史を充実させていく。また花の季節には五色桜を実地に観察、勉強するなど、様々な形での活動を予定している。

 

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